一医療者の視点から ― 2026年4月
保険とは何か、という原点
保険というものの本質を改めて考えてみたい。保険とは、多くの人からお金を少しずつ集め、低い確率で生活や命に関わるような病気に不運にも巻き込まれてしまった人を経済的に救済するための仕組みである。
リスクの分散と相互扶助、その二点に本質がある。つまり「めったに起きないが、起きたときは壊滅的なダメージを与える出来事」に対して備えるのが保険の役割だ。
この原点を忘れると、制度設計が根本からおかしくなる。そして今まさに、日本の医療保険制度はその根本的な矛盾を抱えたまま、見当違いの方向から改革を進めようとしている。
2026年から何が変わるのか
2026年8月から、高額療養費制度の自己負担上限額が引き上げられる。
変更は2段階で実施される予定だ。
患者団体の強い反発を受け、当初2025年8月実施予定だったものが一度凍結された経緯がある。
保険料軽減効果は当初案の約半減にとどまったとはいえ、制度の骨格は重病で長期治療中の現役世代の負担を増やす方向に変わりない。

後期高齢者医療制度という構造的矛盾
ここで改めて数字を直視してほしい。2023年度の国民医療費は過去最高の48兆915億円に達した。

75歳以上の後期高齢者が国民医療費の約4割を占め、1人あたりの医療費は96.5万円に上る。一方、65歳未満は21.8万円と、その差は実に4倍以上だ。
そもそも後期高齢者医療制度が保険として機能するはずがない、と私は思っている。保険が成立するためには支払いの対象は低い確率の不幸であることが前提だ。しかし老化は全員に等しく訪れる。老いること、それに伴って医療が必要になること、これは確率ではなく、ほぼ確実な運命である。
確率が極めて高いリスクを保険で賄おうとすれば、制度が維持できないのは当然だ。
これは現役世代への差別である
高額療養費の総給付額は年々増加しているが、その膨張を牽引しているのは高齢者だ。
上にも書いた様に2023年度の国民医療費において、75歳以上の後期高齢者は国民医療費全体の約40%を占め、1人あたりの年間医療費は約95万円に上る。高額療養費は医療費に連動するから、その給付の恩恵も当然ながら高齢者に大きく偏る。高齢者は制度上も手厚く守られており、医療費に占める実質的な自己負担がはるかに小さい。
高額療養費という制度の果実を最も大量に受け取っているのは高齢者であり、一方でその財源を主に支えているのは現役世代の保険料である。そして今回の改正でコストを負担させられるのも、がんや難病で長期治療を余儀なくされた現役世代だ。
まさに保険が本来救済すべき、低い確率で命に関わる病気に巻き込まれた人のセーフティネットを削り、制度の恩恵を最も享受している高齢者の負担には踏み込まない。
一方で後期高齢者医療費の膨張という構造的矛盾は先送りされたままだ。これを差別と呼ばずに何と呼ぶのか。
高齢者は「強者」である
私は医療者として弱者に寄り添うことが医療の本質だと信じているからこそ、この制度改正に賛成することができない。
高齢者はしばしば社会的弱者として語られる。しかし長く生き延びてきたという事実そのものが、ある意味では強さの証明ではないか。
一方で、がんの診断を受け、毎月何万円もの治療費を払い続けながら、家族を養い仕事を続けようとしている40代の親はどうか。これほど弱者の定義にぴったりと当てはまる存在はないだろう。
私はこのような弱者の味方になるために医師になったのであって、老化現象を診断するために医師になったのではない。
敬意が薄れていく
本音を言う。
今の制度を見ていると、高齢者全体に向ける敬意が私の中でじわじわと薄れていくのを感じる。このような現役世代の窮地を気づきもしないし、気づこうともしない。あまつには賦課方式という社会保障の仕組みすら知らない。自分のことさえよければ人のことはどうでもいいと思っている自己中心的な人たちにしかみえない。
自ら弱者だと訴えながら、医療費の大半を消費し、その費用の多くを現役世代の保険料と公費で賄わせている。
本当に弱者に寄り添いたいなら、まず誰が弱者かを問い直すべきだ。それなくして高額療養費制度の負担増を認めることは、本当に弱い人を見捨てることにつながると私は思っている。
繰り返しになるが、高確率でおきることや自己資金で対応できることに保険で備えてはいけない。その保険は必ず成り立たなくなるからだ。
※保険や投資の方針については、当ブログの著者の見解を記事にしています。保険や投資について絶対の正解はありません。保険・投資の最終判断についてはご自身で記事の内容を解釈の上、自己判断・自己責任でよろしくお願いします。当ブログでは最終的な責任は負いかねます。
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